【カジノ法案】なぜ「政府に丸投げ」と言われるの?

 

「政府に丸投げ」「無責任」批判の絶えないカジノ法案

国会議員立法

そもそも法案提出ってなに?

自民・維新・次世代の3党によって、ついに再提出されたカジノ法案(IR推進法案)。

まだまだ審議入りの目処は立っておらず、厳しい状況には変わりないが、大きな一歩とはなっただろう。

しかし、再提出前・再提出後ともに、聞こえてくるのは批判の声ばかり。

「細かい部分は政府に丸投げではないか」「ギャンブル依存症対策方法など十分考慮されておらず無責任ではないか」「そもそもギャンブルで経済を活性化させるなどあり得ない」、、、。

なんでこんな批判ばかりのことを、国会の偉い人たちは一生懸命進めようと頑張っているのだろうか?

国会や内閣・政府のことなど普段あまり考えることなどないので、なぜ、そしてどのように法案が提出され、その後どう進んでいくかなんて全くわからないという方が大半だろう。

仕組みがわかっていなければ、賛成すればいいのか、反対すればいいのか考えることすらできない。

今回はその基本の部分をお伝えしたい。

 

日本という国の仕組み

「議員」という言葉はおわかりになるだろう。

国会議員(衆議院議員・参議院議員)、県会議員、市会議員、町会議員など様々あるが、全てに共通するのは、”その地域民を代表する存在である”ということだ。

日本では現在、民主主義のもと全てのことが決められている。

民主主義とは、つまり国民一人一人が平等な権利をもち、国民のために国が存在しているということだ。(憲法でいう所の「国民主権」)

本来であれば、国民全員が集まって、一人一票で賛成・反対を決めるのが最も平等だといえるのだろうが、毎回毎回それではあまりにも効率が悪いので、それぞれ決められた範囲のグループ・コミュニティの中で「リーダー」を決め、そのリーダーが集まって物事を決めるという仕組みになっている。

このリーダーこそが議員であり、衆議院議員と参議院議員をあわせて国会議員と呼ぶ。そして国会議員が議論をする場が国会である。

次に、「三権分立」についてはご存じだろうか?

三権、つまり3つの権力(行政・立法・司法)がそれぞれ分立し、かつ互いに監視をするという仕組みだ。

これによって、権力の一極集中・権力の暴走、一般的にいうところの「独裁」が起こらないようになっている。

行政は内閣、立法は国会、司法は最高裁判所がそれぞれの最高機関となっている。

法律を作るのは国会の役目であり、司法はその法律の憲法との整合性をチェックする、といった具合だ。

そして、国会内で最も多くの議席をもつグループが与党、それ以外が野党と呼ばれ、現状で言えば、自民・公明が与党、民主・維新・共産その他諸々が野党となる。

しかし、よくよく考えてみれば、国会内で最も力を持つのは自民党で、そのトップは安倍晋三議員。その一方で内閣のトップである内閣総理大臣も安部晋三総理大臣である。

これでは、行政と立法がそれぞれ独立しているとは言えないのではないか?もしや今この瞬間、日本という国のタブーに気づいてしまったのか?それとも皆見て見ぬフリをしているだけ?

結論からいうと、三権分立とは、それぞれの権力が「独立」しているわけではなく、制度上も問題ない。

この点が良く誤解されているが、「独立」と「分立」では意味が全く違う。

例えば、Aくんとその親友のBくん、そして見ず知らずの青年Cくんがいるとしよう。

Aくんがいつご飯を食べようが、いつ寝ようがBくんに文句を言われる筋合いはない。もちろんCくんも何も言わない。

しかし、Aくんが何か犯罪に手を染めてしまった時、BくんはAくんに対して正しい行いをしてもらい、償ってもらうためにAくんを説得し、警察へと連れて行くだろう。Cくんは何も言わないし、何もしない。

このAくんとCくんの関係性が「独立」であり、AくんとBくんの関係性こそが「分立」だ。(間違ってることしてるやつがいたら知らないやつでもちゃんと言ってやるよ!という方もいるかもしれませんが、ここでは口にださないでくださいm(__)m)

AくんとBくんの関係性の源は”心”の部分だが、立法と行政の関係性の源は”憲法”なのである。

そして、前述の通り、この国は国民のために存在し、主権は国民が有する。

つまり、行政も立法も司法も何もかもが、国民のために存在し、国民のために行使されるものなのだ。

言い換えれば、行政も立法も司法も、それぞれのトップは国民によって選ばれるべきだということである。

今一度よく考えてみると、国会議員は、選挙によって国民に選ばれた「国民のリーダー」であり、その中でも最も国民から評価されたのが、与党だ。

つまりこの与党のトップこそが、民主主義のもと、国民に選ばれた「国の代表者」と言える。

その国の代表者が行政のトップを務めることに何か不自然な部分があるだろうか?その国の代表者が立法のトップを務めることに何か不自然な部分があるだろうか?

気持ち的に受け入れにくいのはわかるが、「安倍晋三国会議員と安倍晋三総理大臣は別人だ」と考えていただくのが最もスムーズだと言える。

司法に限っては、特殊な資格をもっていないとなれないため、同様の選び方はできないというのが現実だ。(国会議員になるためには資格は一つもいらない)

話を戻すが、行政と立法はそれぞれ別の役目を持っており、トップこそ同じだが、構成メンバーは異なる。

そして、議院は内閣不信任を出す(内閣を解散させる)ことができ、内閣は衆議院を解散することができるという、相互監視的な面もある。

また、内閣のメンバー(国務大臣)は内閣総理大臣が任命し、過半数は国会議員でなくてはならないが、その他については誰でも良い。

ん?結局内閣の過半数が国会議員だったら、国会が内閣を支配しているようなものではないか?と感じられただろうが、内閣は「全会一致制」であるので、過半数だからその場を支配できるわけではない。

ここら辺の仕組みはすごく難しいし、曖昧な部分もあるのだが、日本の制度は”議院内閣制”と呼ばれるイギリスから始まった制度を採用しており、その他にはアメリカのような”大統領制”、スイスのような”議会統治制”などがある。

興味がある方は、色々調べてみるとさらに面白いことがわかってくるかもしれない。

と、まあ長々と話してしまったが、ここからが本題だ。(ここまで読んでくれた方はごく一部だろうが。。)

 

カジノ法案は”議員立法”

立法、つまり法律を作るのは国会(議員)の仕事なのだから、「議員立法」なのは当たり前なんじゃないの?

そう感じたのは私だけではないと思う。

しかし実は、国会で審議される法案の出所の大半は「内閣」つまり行政なのである。

その背景には、法案を作成するためには様々な専門的な知識、膨大なマンパワーが必要となるため、国会議員だけでそれをすることは非常に困難だ、という事情がある。

そして、内閣とは内閣総理大臣と各省庁のトップである国務大臣からなる組織。つまりそのバックには、「官僚」と呼ばれる優秀な人間たちが数多くいるということだ。

その官僚たちが、それぞれの分野で都度必要な事柄を検証し、法案を作成していく。

その法案をそれぞれの大臣が内閣にもっていき、議論の上、国会に提出するか否かを決定する。

提出されて初めて、国会はその法案の過不足や問題点を審議し、ブラッシュアップして、最終的に法律へと完成させるのである。(もちろん法律にならず廃案となることもある)

つまり、国会(議員)の主な役目は、「内閣から提出された法案を審議すること」なのである。

そんな中、まれに国会議員が国会に法案を提出することがある。

それこそが、「議員立法」であり、今回のカジノ法案がその「議員立法」なのだ。

しかし、官僚という優秀な専門家集団が作成した、内閣から提出される法案に比べ、議員立法での法案は、いい方を悪くすれば”テキトー”で”詰めが甘く”、”国民感覚からずれた”ものであることが多く、現実にその大半が審議入りすることもなく廃案となる。

もちろん、議員立法の場合も専門家などの協力は受けるだろうが、官僚による全面的なバックアップの有無は非常に大きな影響をあたえるのだろう。

ただ、議員立法によって作られた法律も数多く存在し、公営ギャンブルの競輪法・オートレース法、スポーツくじのスポーツ振興投票実施法などがそうだ。

しかし、これらの法律は「議員立法」の形でありながらも、実はその裏にはそれぞれバックアップする官庁、つまり「官僚」がいるのである。

ご存知の通り、日本の刑法では本来ギャンブル・賭博は禁止されているので、競馬や競輪、宝くじなんかは存在してはいけないもの。

そんな中、例外という形で刑法に穴をあけ、公営ギャンブルや富くじを開催できるようにしている。

カジノにしてもそうだ。カジノはギャンブルなので、誘致するためには刑法に例外という名の穴を開けなくてはならない。

政府からすれば、”親友”(前節参照)である「国会」が頑張って作った刑法を壊してくれと頼むのは、正直気まずい。

だから、いつも通り自分たちで法案を作って提出するのではなく、”形だけ”の議員立法をしてもらうのである。

これを、議員立法に対して「依頼立法」と呼ぶ。

ではカジノ法案も「議員立法」と見せかけた「依頼立法」なのか?

きわどい部分だが、「NO」と言えるのではなかろうか。

まず、バックアップする官庁はいない。この点で「依頼立法」の定義から外れる。

ではどこが”きわどい”のか?

実は、他ならぬ「官邸」がバックアップをしているのだ。(ここでいう官邸は建物のことではなく、内閣総理大臣と内閣官房からなる内閣運営の核となるチームのこと)

・・・・・・。

いよいよ、「政府に丸投げ」と批判される意味がわからなくなってきた。

政府、つまり内閣そのものがカジノ法案をバックアップしているのに、「政府に丸投げ」とは一体どういうことなのだろうか?

 

カジノ法案は”プログラム法”

あまり聞きなれない言葉だろうが、簡単に言えば「やるかやらないかと、おおよそのスケジュールを決めるだけの法律」だ。

例えば、学校の年間行事予定を組むとしよう。

まずは、体育祭・文化祭・音楽祭・・・などをリストアップし、それらをいつくらいにやるかを決める。

そして、その後に各行事の詳細について決めていく。

これを法律にあてはめると、前者がプログラム法、そして後者が実施法と呼ばれるものになる。

しかし、この学校の例と異なるのは、「経験がない」ということだ。

体育祭や文化祭なんかは、多少の違いはあれど、それまで何年もやってきているし、だいたいどんな準備が必要で、起こり得るリスクも想像がつく。

一方で、カジノについては経験がなく、他の国の例などから想像するしかない。

さらに、このカジノ法案というプログラム法案は、税制や運営方法、運営者選定、ギャンブル依存症などのリスク対策については、政府(内閣)が1年以内に実施法の案を”作る義務がある”と明記している。

ここが、「政府に丸投げ」と言われる所以なのだ。

・・・・・・。

しかし、よく考えてみていただきたい。

前節を読んでいただいていればお気づきかもしれないが、”内閣が法案を作成し、国会に提出すること”は極めて普通のことである。

しかも、そのプログラム法を誰より待ち望んでいるのが、他ならぬ”内閣(政府)”なのだ。

もし、内閣(政府)が国会に対して、「そんなの無責任じゃないか。そちらでちゃんと決めてくれ。」と言っているのであれば意味もわかる。

だが、「政府に丸投げ」「無責任」と騒いでいるのは、反対派の面々である。

つまり、「政府に丸投げ」という批判は、「これは問題なんだ!いけないことなんだ!」と民衆に感じさせるために反対派やマスコミが作り上げた言葉というだけで、本質的な批判ではないということだ。

今後カジノ関連のニュースを見る際は、この点を注意していただきたい。

 

カジノ法案の今後の課題

様々な方面からの根強い反対論との戦いが最も重要になってくるだろう。

さらに、その中でも自民と連立与党を組む公明の反対論を打ち消す(落とし所を見つける)ことができるかどうかが最重要課題なのは間違いない。

というのも、プログラム法であるカジノ法案は、国会内で賛成多数を得ることができればそれで良い。

実際、カジノ法案を共同提出をした自民・維新・次世代を足せば過半数に到達するのでこの点はあまり問題ないといえる。

しかし、実施法案は内閣からの提出になるのでそういうわけにはいかない。

前述の通り、内閣は「全会一致制」である。

つまり、公明党所属の大臣(太田国土交通大臣)が一人反対するだけでも法案の提出はできないのだ。

あえて、太田大臣をカジノ法案の担当にするなど、公明にもメリットを持たせ、交渉をスムーズに進めていきたい構えではあるが、現状なかなかうまくいっていない。

 

日本カジノ情報(JCI)のコメント

非常に長くなってしまったが、基本的な仕組みはご理解いただけたかと思う。

「政府に丸投げ」という言葉は、俗に言うマスコミによる印象操作と言えるだろう。

まずは仕組みを知ること、そして賛成にしろ反対にしろ、「本質的」な部分をしっかりと見て判断することが、このカジノ法案に限らず、社会をよりよくしていくためには必要不可欠だ。

他にもわからないことなんかがあったら、いつでもこちらから質問してください!(わかる範囲で答えます)

下部にコメント欄があるので皆さまからもばしばし意見をよせていただきたいです↓

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